サバーカ・サバーカ

【簡単な設定説明】

ロストーク:2017年5月現在24歳のケルベロス(戦闘職)。ロシア出身。故郷での愛称は「ローシャ」。この話は彼の少年期のエピソードです。


 行ってきます、と元気に飛び出していった少年を見やり、このところとみに腹が出てきた中年の男は嘆息した。

「ワシより犬がいいか、そうか……」

「みっともないことを言うのはおよしなさい」

 夫婦だろうか、背が高く厳格そうな細身の女が、こちらは呆れのため息をつく。

 初等教育が始まるかどうかといった小さな子供の親にしては、二人は少々年嵩だ。かといって、祖父祖母にしては若い。

「お前だって、たまの休みくらいローシャと」

「余計な世話ですよ、あの子はこの家に帰ってくるのですから。それで充分です」

 したいようにさせるのが一番、と一人うなずいて、女は無言で男に紅茶のおかわりを要求した。


 少年の名はロストークという。

 彼はほんの二年ほど前に拾われてきた子供で、留守がちながらも愛情深い拾い主たちの下、のびのびと育てられていた。シュコーラと呼ばれる学校教育が始まる以前に、与えられた様々な習い事を貪欲に吸収しながら成長している。

 村には人が少なく、子供は指折り数えるほどしかいない。自然、村の大人たち皆が親のように子供たちを見守ったし、隙あらば己の持つ経験や知識を分け与えようとしている。

 小さな身に有り余るほどの慈しみを受けて、ロストークは実親不在を気に病む隙もなく、屈託のない少年として愛されていた。


 日々あらゆる習い事を楽しんで、まるで遊ぶかのようにくたくたになるまで知識と技術を吸収しているロストークだが、彼の楽しみはそれだけでなはい。

「リェーラ!」

「来る頃だと思ってた、元気だなローシャ」

 ロストークが駆け込んだのは、犬ソリを引く犬たちが暮らす家だ。大きく強靭な体と、従順で優しい心を持ったソリ犬たちが、少年の声を聞いて一斉に振り向く。犬を率いていた青年が、飛びついてきた少年を受け止めてくるりと一回転。リェーラ、と愛称で呼ばれたヴァレリー青年がロストークを地面におろすと、犬たちがこぞって寄ってきた。

 ロストークはヴァレリーが同じ年頃だったときよりも一回りほど小さく、体は華奢で細い。当人はまるで気にしていないようだが、丸く大きな緑の目と線の細い体つき、極めつけに肩まで伸びてふわふわと揺れる柔らかな金の髪のせいで、服さえ変えればまるきり美少女に見える。

 そのくせ行動はわんぱくぼうずそのもので、習い事が終われば日が暮れるまで外で駆け回って遊んでいるのだ。やんちゃな子供にありがちな冒険心も強く、村の外、森に足を伸ばしてはしばしば危ない目にも合っている。

 か弱く見えて庇護欲をあおる少年が、意外と大人たちの手に負えずすばしっこくて活動的なため、大人たちは皆やきもきし通しだ。彼に四六時中ついていられる大人はそうそういないし、いたとしても少し目を離したとたんにどこへ行ってしまうか分かったものではなかった。

 そんなロストークを、幾度となく助けてきたのがヴァレリー率いるソリ犬たちだ。不用意に沼へ踏み込んで身動きが取れなくなったロストークのことを村人に知らせたのは犬だったし、うかつにも森で迷った少年を探し出して村まで連れ戻したのも、北国の日が短いことを忘れて外で居眠りを始める子供が風邪をひかないように毛皮で囲んで温めてやるのも、やはり犬たちだった。

 優秀な犬たちとヴァレリー青年の評価は高い。村に珍しい若人ながら立派に犬たちを率い、また犬も主人の言うことをよく聞く。彼らはロストークがやんちゃをしなくても既に称賛されていたが、目立つ手柄が増えれば当然さらに評判が良くなった。と言っても、それでヴァレリーのなにが変わるわけでもなかったが。

 実直な青年は少年の装備ですべてを察しつつ、期待に目を輝かせるロストークにいつもの問いを投げた。

「今日はどこへ行くんだ?」

 答える少年の声は軽く柔らかによく弾む。

「森へ!」

 そうかそうか、とロストークの細い金髪をくしゃくしゃに混ぜ返しながら、ヴァレリーは笑った。最初に飛びついてきた時点で、ロストークが背中にかごを背負っていることに気づいていたのだ。今はきのこがよく採れる時期だから、森に入る村人も多い。

「採りつくすなよ?」

「採りつくせるもんか、いっぱい生えてるし、僕よりきのこ採りがうまい人はたくさんいるじゃないか」

 ゲーラおじさんとか、イーラおばさんとか、とロストークは少しふてくされたようにきのこ採りの名手たちを列挙していく。まだまだだ、とからかいながらコツを教えてもらっているのが悔しいらしい。

「かごをいっぱいにする前に帰ってくるんだぞ、いいな?」

「わかった!」

 返事だけはいい子だ、とこれまたいつも通りヴァレリーは苦笑する。

 行こうウーリャ、とロストークが呼んだのは真っ白で温厚なサモエドの一頭で、このところよく彼のお守を任されている犬だ。ぱっとヴァレリーへ視線を投げてついて行ってもいいのかと伺いを立ててくるので、青年はひとつうなずいた。

「Даваи」

 行け、と先を行ったロストークを示せば、矢が放たれたようにウーリャが少年を追う。まだ小さな少年の腰ほどまで達する体高の犬がまとわりついて、転げるように駆けていたロストークが歩調を緩めた。あれなら転ぶ心配もいらないだろう、と温かく笑ったヴァレリーに、残された犬たちが寄り添って同胞を見送る。

 雪と氷の季節なら一頭だけでは足りないかもしれないが、まだ初雪が来ていない。連れて行ったサモエドは体力があり経験も豊かで、ロストークによくなついている。

 心配することなどなにもないさ、とヴァレリーは手近の犬からブラッシングを開始した。トリプルコートのヤクート犬は換毛期で、冬毛に入れ替えるために夏の毛がよく抜けるのだ。

 こんもりと山になっていく犬の毛にまみれながら、ヴァレリーはひそやかに犬とロストークがちゃんと一緒に帰ってくることを祈った。


 ロストークは犬ともつれながら踊るように森へ分け入り、数歩進んでは木の根元を覗き込んで、きのこを探した。忠実で優しい犬は、少年が毒きのこに手を伸ばそうとすると一声吠えて、それを止める。そのたびにロストークはまじまじときのこを眺めて、犬が吠えないきのことの差を探そうと躍起になった。

「これ、ほんとにだめ?」

 ワウ、と体格にしては甲高い声で犬が応える。

「だめか」

 わかってくれたか、とでも言うように犬は白く長い毛を膨らませた。

 教えてくれてありがとうね、とロストークは犬をひとしきり撫でまわしてそのふかふかの毛を堪能する。もともと笑っているような顔をしている犬が、うっとりしているかのように目を細めて、余計に笑みが深まったように見えた。

 犬を撫で終わると、ロストークは柔らかな森の土に寝そべって、手を出すなと止められたきのこをとっくりと観察しだした。

 全体が白く、すらりと伸びた柄に、傘の下でちぎれたティッシュのようなつばがまとわりついている。

「足がささくれてないし、ゲーラおじさんが言ってた死の天使とかいうやつじゃないと思うんだよね」

 採ってはいけないものの特徴を覚えるのも大事なことだ。新しいものに興味津々な子犬を見守るかのように、犬はじっとロストークのそばでおとなしくしている。

 きれいな円形の傘とまっすぐな柄は見た目にも美しく、しばらくロストークはそのきのこを眺めて楽しんだ。

「違うやつだろうけど、ダメと言われたのによく似てるし、おまえが止めたならこれは食べられないんだろ?」

 きのこの姿をしっかり覚えてしまうと、それで満足したのか、ロストークはのっそりと立ち上がる。おすわりでいい子にしていた犬も立ち上がって、少年の腰へぴったりと寄り添った。

 見回せばあたりには白いもの以外にも枯葉混じりの土を盛り上げるきのこはいくらでもあって、食べられないと思しききのこ一本にいつまでもかかずらっているわけにはいかない。ヴァレリーに言われずとも、採ったきのこはうまく処理をしてしまわなければ傷むから、ほどほどの量をさっさと集めて早く帰って、明るいうちに土を落としてしまうのが賢いのだ。

「いっしょに探してくれるかい?」

 犬は当然だとばかりにひとつ尻尾を振った。


 目にも口にもよく馴染んだ、見慣れたきのこばかりを集めてどれだけ時間がたっただろうか。犬が服の裾を引くので、ロストークはようやっと地面から目を離して周囲を見回した。

 かごにはずっしりときのこが詰まっている。

「はりきりすぎたかな……?」

 ふんっ、と小さな鼻息で犬が呆れたような仕草をして見せた。とはいえ、口の端が持ち上がったままで全く腹立たしいような顔にはならない。

「ウーリャ、おまえ自分がかわいいのをわかっていてやっているだろう」

 ケラケラと笑いながら、ロストークは森の奥の方へと向かっていた足をくるりと村の方へと返す。得意げな犬の背に手をのせれば、目をつぶっていても村まで連れて行ってくれそうな確かな足取りでてくてくと足が進んだ。

 かごの中には、もたもた土汚れを落としていたらきっと日が沈んでしまうだろう量のきのこ。傍らには気心の知れた友人にも等しい、よく馴れた犬。中天を過ぎて柔らかな陽射しと、細い枝葉の隙間から午後の光を通すタイガの針葉樹林。

 なにひとつ不満などない、まったき満足のなかで、ロストークは大きく深呼吸した。

 もうひと月もしないで冬が来るはずだ。氷雪に覆われた薄暗い季節が来る。

「あと何回きのこを採りに来れるかなあ」

 ふわふわと、しかし少し沈んだ声でロストークは先を思った。彼は冬をあまり好まない。


 今の家に拾われる前のことはおぼろげで、真白な雪原に置き去られたことばかりはよく覚えている。月もない夜、星々ばかりが濃藍の空を覆いつくし、星明りで雪を光らせていた。

 自分が来たはずの道はなく、自分を置いて去った人がいたのは確かなのにその足跡もない。ただただ広く白く平らな雪があらゆる音を吸い取って、ロストークはひとりきりで凍えていた。

 息も止まるような恐怖に震えて、無音から耳をふさぎ、そうして気が付いたら暖かな部屋の中で拾い主たちに顔を覗き込まれていたのだ。

 齢四つにして体験した寒さと静寂、ひたすらの孤独は、彼が冬を恐れ好まなくなるのに十分過ぎるほどの痛みと恐怖を与えた。


「今年の冬も、僕と一緒にいてくれる?」

 白い犬に、ぽつりと問いかける。雪のような白、だがふかふかと柔らかく、体温と重みをもってロストークに寄り添ってくれる存在のひとつだ。

 犬は足を止めそうになった少年の周りをくるりと一度回り、ぐいぐいと後ろから尻を押して歩を進めさせた。

「わ、わ」

 犬は言葉を持たない。だが、人の情を理解し寄り添うことができる。極北の地で大昔から人と共に生きてきた犬は、寒さに孤独に怯える人間を理解したし、共にあることを示す方法を知っていた。

 押されて強引に歩かされた少年が、たたらを踏んでつんのめる。なにをするのかと必死で踏みとどまれば、それを支えるように犬は反対側に回った。べろり、と口元に泳いでいた手を舐めて、少年を見上げる。

 わう、と吠えて、犬はロストークの目を覗き込んだ。じっと、静かに。

「……当然だって?」

 きのこを採っている間中、手を伸ばせばすぐに触れる距離にずっといた犬が、今は少し怒っているように見えた。これだけそばにいてまだわからないのかと、責められているような気分になる。

 黒々と濡れた瞳に映る自分の顔が、あまりにも不安げで泣きそうなものだから、ロストークは思わず笑った。元気で向こう見ずな少年にしては、ひどく情けない顔だ。

「わかったよ、僕がどこに行ってもきっと見つけて助けに来てくれるんだろう?」

 笑顔を見せたロストークに、犬はきらりと目を輝かせ、その大きな体で少年に飛び掛かった。


 ヴァレリーの祈りどおり、犬と少年はそろって帰還した。日が落ちるまでには少し間があって、保護者に申し訳が立たないということもない。

「ローシャ、なんだそのかごときのこ」

 ただし、少年が背負っていたかごはぺしゃりと潰れて、かなりの量が見て取れるきのこも大部分が砕けたり折れたりしていた。おまけに、ロストークの服は胸から腹にかけて白い毛がわんさと張り付いている。

「ええと、うーんと、そうだ、かごを背負ってるの忘れて一緒に遊んでたらね、転んでかごをつぶしちゃったんだ。それで、たすけてもらって」

 うろうろと視線をさまよわせる少年は、どこからどう見ても不審だった。ヴァレリーはあからさまな嘘をとがめるべきかどうか悩んで、仕方のないやつだと苦笑する。

「ウーリャがバカないたずらをしたわけじゃないんだな?」

「うん!」

 その返事だけは素直かつ必死で、ならばとそこは信じることにした。

「じゃあ、いい子にはごほうびと……嘘つきにはお仕置きだ!」

 噓がバレているのをわかっていた小さな子供に、ヴァレリーはわざと厳しい顔をする。ぴぃ、と肩をすくめて震えあがった少年は、背のかごを取り上げられてぱちぱちと瞬きをした。

「俺がきのこの検分するから、いいというまでウーリャのブラッシングしてなさい」

 なんだかんだ言って、村の人間は皆、子供に甘いのだ。


 砕けてしまって安全なきのこか判別がつけられなくなったものを取り除いたら、収穫は少し減ってしまった。ヴァレリーが検分しながら土を払ってくれたおかげで手間の減ったきのこを戦利品に、ウーリャ以外の犬の毛にもたっぷりまみれたロストークが家に帰ったのは、日が暮れる少しだけ前のことだった。

chiral-ensemble

自作小説・イラスト置き場 WTRPGケルベロスブレイドに関連するものは「KERBEROS BLADE」コーナーに それ以外は完全オリジナル イラストに関してはKBも完全オリジナルもごたまぜです

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