縋る椿の追う背



ロストークとモブ(女)一般人の一幕

モブは描写極薄

モブ視点一人称。


 そのひとは、とても雄弁なひとだった。

 といっても、際立ってよくしゃべるわけではない。雄弁なのは、顔と目だ。

 坂道に陣取る、通りに面した我が家の門柱には、寄り添うようにして椿が生えている。三月半ばのその日、つやつやとした葉を茂らせる木には私の手のひらよりも大きな花がたくさんついていて、ちょうど花盛りだった。

 私はいつものように庭の草をむしって、一通りの手入れを済ませた。家の前でも掃き清めようかと、ほうきとちり取りを持って外に出る。順番が変わることはあっても、これは私の日課だ。一年通して変わらない。

 そうしてなんの気なしに踏み出した外。

 そこに彼がいた。

 人がいることに気付いた私が反射的に顔を見ようとして、最初に目にしたのは彼の肩だった。つまり彼は、とても背が高かった。戸惑いながら見上げれば、冬枯れに乾燥した葦のようなくすんだ金髪が、春風に混ぜかえされてくしゃくしゃに跳ねている。ひざ丈のコートはまだ冬を連れた暗色で、そのくせめいっぱいに風をはらむのは前ボタンを全部開けて春の空気を含んでいるからだ。ふわり、春先特有の強い風を楽しむように目にかかった髪をよける指先につられて、改めて横顔を見上げる。やわらかに透けるような萌芽の瞳は優しく、絹布のように白い肌はうっすらと上気していた。白いジャスミンが散らばる乱れた髪のせいか、上機嫌なのを隠そうともしない笑顔のせいか、体格もしっかりした男性なのにどこか子供のように見える。

 優しい視線の先にあるのは我が家の椿で、どうやら彼は花に見とれていたらしい。常緑の中に映える赤は、血のような鮮烈さこそないものの、わずかに白を混ぜ込んで練ったような柔らかな色が目を引く。しゃらしゃらとしだれる金細工のかんざしにも似た花芯と、金粉をまぶしたように花弁に散る花粉の黄色が華やかだ。なにより、花がみな重さで下を向いてしまうほどに大きくて、世話をしている私が言うのもおかしいが見事な艶姿なのだ。この椿に花の精がいるなら、とびきりしとやかで豪華な美人に違いないと思っている。

 のぞき込むように花を眺める彼は、私が声をかけるのをためらうほど、夢中になっているのがよくわかる顔をしていた。恋人からの便りを開いて、一字一句を大事に読んでいるような、そんな顔だ。

 大切に世話をしている花をそんな風に見られるのは、くすぐったくて誇らしい。ほうきを持ったまま突っ立って、私は彼がこちらを振り向くまでぼうっとしてしまっていた。

「こんにちは、ここのかたですか」

 しゃり、と竹ぼうきの先が道を擦って、音に気が付いた彼はにこやかに私へと向き直った。ゆっくりとした、低めなのによく通る声が風に踊る。

「ええ、はい、そうです」

 金髪碧眼、どう見ても外国のひとだと思ったのに、予想外に流暢な日本語で話しかけられて驚いた。思わず「イエス」の日本語バリエーションを披露してしまって、恥ずかしくなる。頬が熱くなるのがわかって、余計に恥ずかしい。

 彼は私の慌てぶりを気にするそぶりもなく、ひとのお宅の花を勝手にのぞき込んでいてごめんね、と親し気に謝ってきた。初対面だが、なれなれしいとは感じない。不思議なひとだ。

「いえ、見てもらいたくて門のそばに植えていますから」

 誰かが見ると思えば、世話にも熱が入る。それが楽しい。

 外に出てきた目的を思い出して、掃除を始めつつ告げる。彼は「ならよかった」と微笑んで、まだしばらく見ていってもいいか、と尋ねてきた。もちろん、と返せば嬉しそうに礼を言う。

 おとなしくて落ち着いているのに、やはりどこか子供のようだ。感情がとても素直に顔に出るらしい。いくつなのだろう、ちょっとかわいい顔をしている。


 私があらかた家の前を掃除し終わっても、彼は飽きもせず椿を見ていた。相変わらず恋人からの手紙をじっくり読みこんでいるような顔をしていて、邪魔をするのがはばかられる。

 彼が見ているのとは反対側から、私は摘花を始めた。枯れ始めて茶色くしおれた、落ちる寸前の花を摘む。もう落ちているのに枝に引っかかっている花や、地面に落ちてひしゃげてしまった花も拾った。せっかくの美人椿なのだ、見栄えは整えてあげなければ。

「うつくしい、カミエーリヤ……この花を、日本語ではなんて呼ぶのかな」

 英語の「カメリア」とも違った発音は、少し探るように。彼の故郷の言葉だろうか。

「椿です。まるごと落ちるのが椿で、よく似ているけれど花弁がばらけるのがさざんか」

 花と一緒に私の作業も見ていたのだろう、枝葉の中へ手を突っ込んで幹のそばに落ちた花を取ろうとしたら、彼がすっと手を伸ばした。手を傷つけるだろう、なんて言うけれど、彼こそ上等そうなコートの袖をひっかけてしまうだろうに。

 やさしく、手はおろかコートにまで神経を通わせているかのような真剣な顔をして、彼は枝も葉も傷つけずに枯れ落ちた花を引き出してきた。深窓の令嬢がわずかに乱した髪を、至極丁寧に整えてやるかのような、そんな手つきだ。

「花ひとつなのに、結構重たいんだね。こんなに大きくて見事なつばきは、見たことがなかったよ。とてもきれいだ」

 愛されているんだね、と今が盛りの一番美しい花に語りかけるようにして彼は微笑んだ。手の中の枯れた花にも笑みを深めて、そっと私に渡してくれる。

「母が昔、熱心に世話をしていて。私も好きだから……」

 受け取って、椿を口説く彼に気恥しくなりながら言い訳のようにつぶやいた。納得したようにうなずいた彼が、はたりと瞬きをする。

「そうだ、つばきはどういう漢字を書くのか、教えてもらっても?」

「ええ、いいですけど」

 日本生まれ日本育ちだと言われてもおかしくないくらいに上手に日本語でしゃべるくせ、彼は「日本語はまだ勉強中なんだ」と笑った。特に仕事で使っている言葉以外のものはまだまだ、らしい。お上手ですよ、とほめれば素直にありがとうと笑う。

「どこがまだまだなのか……」

「機械とか、あと、ひとにどうしてほしいのかを伝える言葉はしっかり覚えたのだけれどね。お堅い論文はそのまま読めても、小説は辞書と漢字辞典をそばに置いて読むんだ」

 漢字の読みがわかっても、それが情緒的……彼曰く「きれいなものやたのしいこと」に関する単語だとわからないものが多いという。しゃべるのに不自由はしなくとも、勉強したいことは山ほど、と彼は語った。

 期待した目で見てくるので、私はポケットからスマートフォンを出して、メモ帳アプリを開いた。口で言うのも簡単な字だけれど、きっと見せたほうがいいだろう。あいにく紙もペンもすぐには持ってくることができない。

 つばき、とフリックで入力して、予測変換から漢字一文字を選び取る。

「これです。椿は、春の木」

「春の木……」

 それこそ花が開くように、彼は笑った。私の端末に顔を寄せたせいか、ふわりとジャスミンが香る。あまりにもすっと自然にのぞき込まれたから気づかなかったが、よく見れば彼は膝を曲げてかがんでいた。舞踏会のお辞儀のように背筋はすらりと伸びたままだから、隣でぼさっと片足に体重をかけて突っ立っているのが申し訳なくなる。舞踏会になんか行ったこともないけれど。

 彼は、つばき、春の木、と嬉しそうに繰り返しながら、画面を見ては大きな手のひらに指先で「椿」の字を書いて見せた。基本的な漢字の書き方はもう覚えているのか、書き順も正確だ。そうそう、とうなずけばふにゃりと顔をほころばせる。

「ありがとう、おかげでわかる言葉が増えたよ」

「いいえ、こちらこそたくさんほめてもらって。きっと椿も喜んでいます」

 膝を伸ばした彼は私よりもまるきり頭一つ分大きくて、近づいたせいか目の前にはシャツに包まれた胸板しか見えない。分厚い。

「近くに来たときにはまた寄ってください」

「うん、ぜひ。毎日道を変えるお散歩だから、時間がいつごろになるかはわからないけれど……でも、近くを通ったら、また」

「はい」

 社交辞令のように、でもまた来てくれれば本当に歓迎するつもりで言葉を投げれば、彼はそれを少しだけ具体的にして投げ返してくれた。

 ひらひら、と手を振るのに笑って、坂を下る彼を見送る。


 広い背中もだいぶ遠くなって、そろそろ家に入ろうか、と思ったところで、坂の上から風が吹いてきた。ざわ、と通りの木々が葉をざわめかせて、椿も揺れる。ふと見れば、一本伸びた枝の先、まだ咲いたばかりの花が彼に向かって手を伸べているように見えて。

 私は家に駆けこむと、剪定用のはさみと新聞紙をつかんで、もう一度外へ駆け出した。

 きっと彼なら、大事にしてくれる。

chiral-ensemble

自作小説・イラスト置き場 WTRPGケルベロスブレイドに関連するものは「KERBEROS BLADE」コーナーに それ以外は完全オリジナル イラストに関してはKBも完全オリジナルもごたまぜです

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