着替え

 実家の猫が亡くなりました。

 校正も何もない本当に書きなぐりですが、なにもできなかった私の今を残しておかなくてはならないと思って書きました。

 しばらくは落ち込んでいると思いますが、RP等いつも通りにしたいと思っています。あまりお気遣いいただかなくても、なんとか立ち直ります。

 ご報告までに。


※弱り切った猫の詳細な様子があります。ストレートに猫が死ぬ話ですので、苦手な方は上記のみお読みいただければあとはスルーしてくださって結構です。以下は単に私が猫を忘れないための書き起こしです。



まろが着替えに行った。悪性の腫瘍があちこちにできて、わかったときにはほとんど手の打ちようがなかった。

 12歳と10日、生まれた直後からではなかったけれど、それでもこんなに長く私の家にいてくれた。


 親戚の家で保護した猫が3匹の子猫を生んだというので、そのうちの1匹をもらいうけた子だった。生後間もなくの子猫を見に行って、フリースの肘の隙間へ顔を突っ込んだり、指先を差し出してみれば咥えて吸ったりと、目も開かない子猫たちはおぼつかない動きでそれでも元気だった。

 迎えたのは、アメリカンショートヘアの血が混じっているように見える、サバ柄の猫だった。白い腹、灰地に黒の縞で、ところどころにうっすら小さく茶が混じる。鼻先に左右非対称のシミのような茶毛、目の上には麻呂眉模様とM字があった。

 だから、まろと呼んだ。


 迎えた当初からずいぶん長いこと、エサもシャンプーも爪切りも私の仕事だった。

 中学生のころだったので、手のかかる子猫のころ、ずっと面倒を見ていたのは母だった。昼の間かまったり面倒を見たりすることはできなかった。

 それでもほとんど毎朝ご飯をあげて、帰ってきたら夕飯をあげて、短毛の完全室内飼いでも埃臭くなってくるので半年に一度程度シャンプーをして、外に出すこともないので爪を切る。

 先代はほとんど成猫になるころに外から迎えたためか、少々気性が荒く噛む力にも容赦がなかったが、まろの世話で跡が残るようなひどい怪我をしたことはなかった。加減を知っていたのか、単に性格なのか。


 外の世界を知らない子だった。抱いて外に出れば爪を立てて服にしがみつき、車の音や人の気配がするだけでぶるぶると震えて、人の首元や服の襟に顔を突っ込もうとする臆病な子だった。それでも時折脱走して、家の敷地から出ることはほとんどなかったが、私の肝を冷やした。

 実家の玄関には、不意を突いて駆け出して行かれないように、ドアの内側にフェンスを設置してある。まずフェンスを開け、ドアとフェンスの間に入ってフェンスを閉じ、それからドアを開けるのだ。すっかり癖がついて、実家を出て2年がたった今でも、実家に戻れば体が勝手にそう動く。

 朝のエサやりをするのに、いつまでも寝ていると起こしに来る猫だった。

 噛んだり叩いたりしてくるのを布団にこもって防御すれば、そのうち机にほったらかしていた学校のプリントなどを標的にするようになった、かしこい猫だった。

 猫らしく水を怖がり、体を洗おうとしてもシャワーだと逃げ回るので、湯船の用意が必要だった。シャンプーをするために適当な容器に湯を張って入れようとすれば、容器の縁に爪を立てて必死の抵抗を見せた。それをなんとか湯につければ、大声で鳴いて風呂の外へ助けを求めた。水浸しで一回り小さくなったところへ、抵抗されながらなんとかシャンプーをつけ、毎度あまり泡立てることもできないまま、シャンプーが残らないようにシャワーを使って洗い流す。湯船から引き揚げてやると前足をじたばたと動かして、うかつに体に近づけると爪を服に引っ掛けて私の体に上った。猫の風呂のはずが私までびしょ濡れになって、まろを洗うのは換毛期のころの大仕事だった。

 ドライヤーも嫌がるので、最初の数回以降はタオルドライだけになり、拭き取りが甘いまま逃げられてしまえば家中が水浸しになった。

 そんなに水を嫌うくせに、ごくたまに、人が風呂に入っていると風呂のドアの前で鳴いて「ドアを開けろ」とねだった。

 開けてやれば恐る恐る入ってきて、足の裏についた水を逐一じたばたと振り落としながら、湯船のほうへやってくる。前足を浴槽の縁にかけて伸びあがり、そろそろと湯船をのぞき込み、じりじりとゆっくり風呂中を探索してから、突然被害者ぶって大声で鳴きだし、風呂から出せと訴えるのだ。やはり足の裏はびしょびしょなので、そのまま駆け回って案の定脱衣所からリビングまで床を濡らした。


 私が大学へ行くようになって、一限の講義がなければずいぶん遅くまで寝ているようになり、プリントの類もほとんど机に出しておかなくなったころ、まろは私よりも早起きをする父や弟に朝食をせがむようになった。帰りも遅くなったので、夕飯も日が落ちたころに家にいる人へねだる。

 ずっと変わらずカリカリを食べていて、たまの贅沢とウェットフードや刺身をやると食べるのがとてもへたくそだった。海苔が好きだったが、やはりちぎって与えたものを床に落とすし、落ちたものを拾うのも下手で、しまいにはうまくのみこめずいつまでも口を動かしていた。

 いつしかシャンプーも弟が担当するようになった。


 それでも、爪切りだけはずっと私の仕事だった。

 仰向けに抱いて四肢のひとつを手に取れば、爪切り鋏を出したとたんに散々逃げ回っていた猫が諦めたようにおとなしくなる。そうして、そのまま四肢すべての爪を整え終わるまで、多少嫌がるそぶりを見せても、じっとしていてくれる。父も爪切りはできたが、一度に四肢すべての爪を切らせてもらえるのは、私だけだった。


 私が猫を置いて実家を出たのは、まろが10歳になる少し前の冬だった。

 家を出てからも、ひと月かふた月に一度は休日を使って実家に戻り、その度に爪を切った。

 爪を切りに行っていたと言ってもいいかもしれない。爪を切りに来る嫌な奴と思われていたかもしれないし、行くたびに「誰だこいつ」と思われていたかもしれない。だが、玄関へ出てきた猫に鼻先へ軽く握ったこぶしを差し出して挨拶すれば、ひとしきり匂いを嗅いでからフイとよそを向いてすたすたと部屋へ戻っていくのが常だったので、きっと長く家を空けていた私のことを、ずっと覚えていてくれたのだろうと思う。


 10歳を過ぎた老猫を置いて家を出ると決めたときに、その時が来ても看病も看取りもできないだろうと覚悟を決めていた。

 それでも、今年1月半ばに突然、病院に行って血液検査をしているとLINEの家族トークに連絡があった時は動揺した。

 しばらくして、自力で食事をとった、水を飲んだ、と報告が入るようになり、年末に実家へ行った時には少しおとなしいくらいだった猫の様子からは想像もつかないほど急激に体調を崩していることに怖くなった。聞けば、年明けからずっとよろよろしていたのだという。

 すぐに教えてくれなかったことに怒りも覚えたし、そのくせ様子をよく知らない私のLINEの返事が能天気であるとか「すっ飛んでくるかと思っていたのに」と言っていたとか、弟妹の動揺のあまりの暴言をなぜか私にわざわざ伝えた母に腹が立った。それを知らせてなにになるというのか、告げ口のようなことをして、知らないはずの私から謝ることもできないのにと、余計なことに心を割かなくてはいけないことにとてもイライラした。


 だが、猫の様子を見てすぐに、それどころではなくなった。

 自力ではあまり水を飲まなくなり、腎臓の負担や脱水でぐったりとしていた。病院で補液を受ければやや元気になるが、それでも足はふらついていたし、もうカリカリを食べる力はなく、食べるのが下手なウェットフードを食べるため、家族が手助けをしていた。

 「猫が口から食べられなくなったらあっという間です」という医師の言葉に、まろは今年の誕生日を迎えられるのだろうかと嫌な動悸がした。


 それから、2月にもう一度会いに行った時には、すっかり痩せてさらにおとなしくなっていた。一時期には7㎏強あった体重が、4㎏強にまで落ちて、もうほとんど自力では歩き回れなくなっていた。


 そして、昨日。3月17日の午後、実家に行くと、すでに息も絶え絶えで起き上がることすらできなくなったまろが、リビングでストーブの前に寝ていた。

 弟は16日からずっと猫に寄り添って夜通し番をして、何度か息が止まったというまろをずっと撫で続けてくれていた。母は見ていられないとばかり、別室で服にアイロンをかけていたが、やがてリビングへ来た。二階にいた父も。

 ぜえぜえと、いびきのようにも聞こえる喘鳴とともに体全体で息をしている猫を見て、涙がこぼれるより先に鼻水が出てきた。


 喉元にできた腫瘍のせいで、食べ物どころかほんの数滴の水を飲みこむのにもひどく苦労していた。やはり腫瘍のせいで鼻が詰まってしまい、鼻水や鼻血も滲んでいた。本当に苦しくなると猫も口呼吸になるのだそうで、開きっぱなしになった口からのぞく舌先は、乾燥のせいか少し欠けたように形が変わっていた。右目はもう見えていないのか濁って乾燥していて、左目も瞳孔が丸く開いたまま瞬きもない。

 これまで毎日、補液のために行っていた動物病院へ、連れて行くのに耐える力がないだろうから今日は行かないと、弟が決めた。決めてから、無理やり声を抑え込んで、弟は泣いていた。

 いよいよだめなのだと、突き付けられた。私が実家に戻るまで、顔を見に行くまで、生きて待っていてくれたのが奇跡のようなものだった。


 5時間ほど、床に座り込んで猫を撫で続けた。時々舌をひらひら動かすのを見れば、指先に水をつけて口の中を湿らせてやった。トイレに失敗してごわごわと固まってしまった部分の毛を、濡れタオルで拭ってやり、目頭にたまった目やにをとって、ひたすら撫で続けた。

 苦しそうにじたばたともがけば背をたたいてあやし、頭を支えて呼吸を手助けして、たまった唾液を飲み込めていなければ胴を持ち上げて喉が詰まらないようにしてやる。冷えた四肢や耳を撫でさすり、手で温める。

 ずっとついていた弟に教わりながら、看病できなかった分を取り戻せるとも思わなかったが、それでも少しでも楽になれと祈った。

 腕に抱きあげれば、あんなに重かった猫とは思えないくらい、肩透かしなくらい軽かった。


 私本人に、甘えたり近寄ってきたりすることはあまりない猫だった。

 でも、爪を切らせてくれた。

 私はまろに嫌なことばかりしただろうに、私のベッドに陣取って寝転がったり、私の部屋で日向ぼっこをしていた。

 実家を出てほとんど会わなくなっても、あいさつをすれば「いてもかまわない」というように家を出る前と同じようにしていてくれた。


 大切な、大事な、かわいいうちの子だった。


 実家から帰って、食事をして眠り、朝起きると、午前4時45分、弟からLINEの通知が来ていた。

「35分まろは息を引き取りました」

 本当に短い一言だった。それ以外なにも書いていなかった。

 でも、そんな早朝に、はっきりと何時に逝ったのかわかるくらい、弟は本当に付きっ切りでまろを見てくれていた。10分の間、弟がどうしていたのか、想像に難くなかった。


 私は、覚悟したとおり、看病も看取りもできなかった。

 二年前に覚悟していたとしても、病気を知ってから2か月ずっと心の準備をしていたとしても、いま、とてもつらい。


 午後になって、母から火葬の日程が決まったと連絡がきた。

 明日、19日月曜日の、15時。

 職場にいる時間。

 見送ることもできないけれど、祈ることくらいはできるだろうか。

 よく眠る猫だったのに、この数日は苦しくてよく眠れなかっただろうから。

 どうか、ゆっくり眠って。気が済むまで眠ったら、できるならまた、私の前に姿を見せてほしい。


 気が向いたらでいいから。

 着替えが終わるまで、待っているから。

2018/03/18 19:00



きっとわたしは、四六時中付きっ切りで見ていられるようになるまで、自分の手でいきものの世話をしようとは思わないでしょう。

chiral-ensemble

自作小説・イラスト置き場 WTRPGケルベロスブレイドに関連するものは「KERBEROS BLADE」コーナーに それ以外は完全オリジナル イラストに関してはKBも完全オリジナルもごたまぜです

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